Cleopatra VII|歴史上の人物|-69年1月3日生まれ
クレオパトラ7世は、プトレマイオス朝エジプト最後の女王である。紀元前69年に生を受け、18歳で即位した。類まれな知性と語学力、そして政治的野心を武器に、当時の大国ローマの有力者カエサルやアントニウスと結託。激動の地中海情勢の中で王国の存続を図ったが、最終的にはオクタウィアヌスに敗北し、39歳で自らの命を絶った。知略と悲劇に満ちたその生涯は、後世に多くの伝説を残している。
紀元前1世紀、地中海の覇権がローマへと移りゆく激動の時代、エジプトの運命を背負った一人の女性がいた。プトレマイオス朝最後のファラオ、クレオパトラ7世である。彼女が18歳で女王に即位したとき、王国は内乱とローマの介入により危機的状況にあった。しかし、クレオパトラは単なる美貌の主ではなかった。彼女は数か国語を操り、哲学や数学にも通じた当代随一の知識人であり、冷徹な計算に基づく政治家であった。
彼女の運命を大きく変えたのは、ローマの最高権力者ユリウス・カエサルとの出会いである。21歳のクレオパトラは、追放されていた身から復権を狙い、絨毯にくるまってカエサルのもとへ届けられたという伝説的な逸話を残した。カエサルの知性と力を味方につけた彼女は、共同統治者であった弟を打ち破り、エジプトの支配権を確固たるものにする。二人の間には息子カエサリオンも生まれ、オリエントとローマを結ぶ壮大な帝国の夢が描かれたかに見えた。しかし、カエサルの暗殺によって、その計画は一時的に潰えることとなる。
カエサルの死後、クレオパトラは次なるローマの有力者、マルクス・アントニウスを新たなパートナーに選ぶ。28歳で彼と結婚した彼女は、アントニウスの軍事力を背景に王国の版図を拡大させ、再び黄金時代を築こうと試みた。二人の絆は公私ともに深く、アントニウスはエジプトの地に骨を埋める覚悟で彼女に傾倒したが、これがローマ本国での反感を買い、若き実力者オクタウィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)との全面対決を招くことになった。
紀元前31年、アクティウムの海戦での敗北により、クレオパトラとアントニウスの野望は潰えた。オクタウィアヌスの軍がアレクサンドリアに迫る中、追い詰められたアントニウスは自害。後を追うようにクレオパトラもまた、39歳でその波乱に満ちた生涯を閉じた。毒蛇に胸を噛ませたとも伝えられる彼女の最期は、征服者の捕虜となり辱めを受けることを拒んだ、女王としての最期の矜持であった。彼女の死とともにプトレマイオス朝は滅亡し、エジプトはローマの属州となった。しかし、歴史の荒波に翻弄されながらも知略と情熱で戦い抜いた彼女の姿は、いまなお伝説の女王として人々の記憶に刻まれている。