Napoleon Bonaparte|歴史上の人物|1769年8月15日生まれ
ナポレオン・ボナパルトは、フランス革命後の混乱期に彗星のごとく現れた軍事天才であり、フランス皇帝となった人物である。幼い頃から卓越した軍事的才能を発揮し、イタリア遠征やアウステルリッツの戦いで欧州を震撼させた。法典の編纂などの内政でも功績を残したが、ロシア遠征の失敗を機に没落へと向かう。彼の波乱に満ちた生涯は、近代ヨーロッパの形成に決定的な影響を与えた。
1769年、コルシカ島で生まれたナポレオン・ボナパルトの人生は、戦乱の時代のうねりと共にあった。わずか10歳でフランスの陸軍幼年学校に入学した彼は、周囲に馴染むことよりも兵学の研鑽に没頭した。その結実として16歳で砲兵少尉に任官すると、フランス革命の混乱の中で頭角を現していく。24歳の時、トゥーロン攻囲戦において優れた戦術を披露し、一気に准将へと昇進。さらに26歳でパリの暴動を鎮圧して国民公会を救ったことで、その名はフランス全土に轟くこととなった。
その後、イタリア遠征における劇的な勝利を経て、20代という異例の速さで軍を掌握したナポレオンは、政治の世界へと足を踏み入れる。30歳でクーデターを決行し、第一統領(第一執政)に就任。権力の中枢を掌握した彼は、35歳で国民投票を経てフランス皇帝の座に即いた。翌年のアウステルリッツの戦いでは、卓越した指揮能力でオーストリア・ロシア連合軍を撃破し、その軍事的名声は頂点に達した。彼は単なる独裁者ではなく、ナポレオン法典の制定を通じて「法の前の平等」を確立するなど、近代国家の礎を築く改革者としての顔も持っていた。
しかし、絶大な権力と勝利の連鎖は、同時に崩壊への種を蒔いていた。43歳の時に敢行したロシア遠征は、冬将軍の猛威と焦土作戦によって壊滅的な退却を余儀なくされ、ナポレオンの無敵神話は崩れ去った。この敗北に乗じた各国の蜂起により、45歳で退位を迫られ、エルバ島へと流刑に処された。だが、彼の野心は尽きることはなかった。翌年、エルバ島を脱出して政権を奪還した「百日天下」は、熱狂的な支持を持って迎えられたが、長くは続かなかった。
1815年、46歳のナポレオンはワーテルローの戦いでついに命運を分かつ敗北を喫する。再度の退位を余儀なくされた彼は、大西洋の隔絶された孤島、セントヘレナ島へと追放された。皇帝として欧州全土を支配下に置いた男は、かつての栄光とはかけ離れた孤独な晩年を過ごすことになる。彼の波乱に満ちた生涯は、封建主義を打ち破り近代の幕を開ける大きな原動力となり、今なお歴史における最大のカリスマの一人として語り継がれている。