Tamerlane|歴史上の人物|1336年4月8日生まれ
ティムールは14世紀から15世紀にかけて、中央アジアに広大な「ティムール帝国」を築き上げた軍事的天才である。西チャガタイ・ハン国で台頭し、チンギス・ハンの後継者を標榜しながら各地を征服。デリー略奪やオスマン帝国撃破など、比類なき軍事的功績を残した。その苛烈な征服活動の一方で、首都サマルカンドをイスラム文化の黄金都市へと変貌させ、洗練されたティムール朝の礎を築いた巨星として知られる。
1336年、中央アジアのケシュ近郊で、のちに「鉄の男」を意味する名を持つティムールは誕生した。彼は没落しつつあったチャガタイ・ハン国の混乱の中で頭角を現し、34歳となった1370年、周辺勢力を制圧してティムール帝国を建国する。ティムールは自身をチンギス・ハンの衣鉢を継ぐ者と定義し、ユーラシア大陸を股にかけた空前絶後の遠征を開始した。彼の軍事戦略は冷徹かつ緻密であり、敵対する都市には徹底した破壊と殺戮をもたらす一方で、芸術家や職人をサマルカンドへと連れ帰り、帝都の繁栄に貢献させた。
その征服活動の頂点の一つが、1398年のインド遠征である。62歳という、当時としては晩年と言える年齢でありながら、ティムールは険しいヒンドゥークシュ山脈を越えてインドへ侵攻した。デリー・スルタン朝の軍勢を象を用いるなどの奇策を封じ込めて粉砕し、デリーの街を徹底的に略奪した。この遠征により、インドから莫大な富と象、そして熟練の建築家たちが彼の手元にもたらされ、サマルカンドには後のムガル帝国様式の先駆けとなる壮大な建築群が築かれることとなったのである。
ティムールの野心はインドに留まらず、西方へと向けられた。当時、新興勢力として急速に拡大していたオスマン帝国の「雷光(ユルドゥルム)」ことバヤジット1世との対決は避けられないものとなった。1402年、66歳に達したティムールはアンカラの戦いでバヤジット1世と激突する。この戦いでティムールは、高度な戦術的機動と自軍の練度を活かしてオスマン軍を完膚なきまでに打ち破り、皇帝バヤジット1世を捕らえて虜囚にするという衝撃的な勝利を収めた。この一戦はオスマン帝国の拡大を半世紀近く停滞させ、中世世界の勢力図を根底から塗り替えることとなった。
晩年のティムールは、最期の夢として中国・明への遠征を画策するが、1405年、その途上で病に倒れ、70歳を前にしてこの世を去った。彼の遺体は愛するサマルカンドのグル・アミール廟に安置されている。ティムールの治世は武力による征服という側面が強いが、彼が保護した文化や学問は「ティムール・ルネサンス」として結実した。破壊者であると同時に卓越した建設者でもあった彼の二面性は、今もなお歴史家を魅了し続けている。彼が築き上げた帝国の輝きは、その後継者たちが育んだ洗練されたイスラム文化の中に長く息づくこととなったのである。