Jawaharlal Nehru|歴史上の人物|1889年11月14日生まれ
ジャワハルラール・ネルーは、イギリスからの独立を果たしたインドの初代首相であり、近代国家としての礎を築いた政治家である。ガンディーを政治的師と仰ぎつつも、科学的合理主義に基づく近代化を推し進め、民主主義と世俗主義を国家の指針とした。また、冷戦時代には非同盟運動の旗手として、米ソのどちらの陣営にも属さない独自の外交路線を確立し、国際社会において発展途上国の声を代弁する重要な役割を果たした。
1947年8月15日、長きにわたるイギリスの植民地支配からインドが独立を遂げた際、初代首相として「運命との密会」と称される歴史的演説を行ったのがジャワハルラール・ネルーである。彼は裕福な弁護士の家庭に生まれ、イギリスの貴族教育を受けたエリートであったが、帰国後にマハトマ・ガンディーと出会ったことで運命が一変する。非暴力不服従運動に身を投じ、度重なる投獄を経験しながらも、ネルーはインド独立という悲願達成のために人生を捧げた。
首相就任後のネルーが直面した課題は、宗教対立によるパキスタンとの分離独立という傷跡を癒やし、貧困に喘ぐ巨大な多民族国家をいかに近代化するかという難問であった。彼は師であるガンディーの村落共同体主義を尊重しつつも、国家開発には科学技術と工業化が不可欠であると確信していた。五カ年計画を導入して重工業を育成し、インド工科大学(IIT)などの教育機関を設立した彼の先見性は、今日のインドがIT大国として台頭する土壌を作ったといえる。また、多様な宗教が共存するインドにおいて「世俗主義」を国是とし、政教分離を徹底することで、民主主義国家としての骨格を強固にしたのである。
ネルーの功績は国内統治に留まらず、国際政治の舞台においても燦然と輝いている。第二次世界大戦後、世界が米国を中心とする資本主義陣営と、ソ連を中心とする社会主義陣営に二分される冷戦構造が深まる中で、彼はどちらの勢力にも加担しない「非同盟」という第三の道を提唱した。これは、植民地支配から脱したばかりの諸国が、再び大国のパワーゲームに巻き込まれることを防ぎ、主権を守るための現実的かつ理想的な戦略であった。
1954年には中国の周恩来と共に平和五原則を打ち出し、翌1955年にはインドネシアで開催されたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)を主導した。そして1961年、彼はユーゴスラビアのチトーやエジプトのナセルらと共に非同盟諸国首脳会議を創設し、新興独立諸国の連帯を強化した。この非同盟運動は、冷戦下における緊張緩和に寄与しただけでなく、グローバル・サウスの権利を主張する国際的な潮流の原点となった。ネルーは、理想主義を掲げながらも国際連盟の限界を見据えた冷徹な知性を持ち合わせ、インドを世界に誇れる誇り高き国家へと導いたのである。彼の没後も、その政治家としての精神は「ネルー・イズム」として現代のインド、そして国際政治の中に息づいている。