松本人志の年表

Hitoshi Matsumoto|アーティスト・作家|1963年生まれ

ダウンタウンのボケ担当として現代のお笑いを変革し、映画監督・著作家としても活動するお笑いタレント。

松本人志の人生紹介

尼崎に生まれた天才肌

松本人志は1963年、兵庫県尼崎市に生まれた。経済的に困窮した家庭で育ち、後に作詞した「チキンライス」にはその少年時代が映し出されている。小・中学校の同級生には後に相方となる浜田雅功や放送作家の高須光聖がいた。1982年、浜田とともに吉本総合芸能学院(NSC)大阪校の1期生として入り、コンビを結成。1983年にコンビ名を「ダウンタウン」と定め、関西での活動を経て1988年に『夢で逢えたら』で東京進出を果たした。

『水曜日のダウンタウン』のプロデューサー藤井健太郎は、松本の発言の打率と手数の高さを評価している。坂本龍一や太田光ら各界の表現者が松本の笑いを論じ、その功罪が繰り返し語られてきたこと自体が、彼が時代に与えた影響の大きさを物語る。かつては愛煙家だったが2004年に禁煙に成功し、テレビゲームや筋トレを趣味とするなど独自の価値観を貫いてきた。

笑いの革新者

『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』『ごっつええ感じ』などで全国的な人気を獲得する一方、1993年から連載したエッセイは『遺書』『松本』として単行本化され、それぞれ250万部・200万部を売り上げる大ベストセラーとなった。1994年には入場料1万円のコントライブ『寸止め海峡(仮題)』、1996年には『一人ごっつ』を手がけ、「写真で一言」やフリップ大喜利を広めた第一人者とされる。『M-1グランプリ』『キングオブコント』『IPPONグランプリ』『人志松本のすべらない話』など多くの賞レースや番組で審査員・企画を担い、後進の育成にも大きな役割を果たした。2007年には企画・脚本・監督・主演を務めた映画『大日本人』で映画監督デビューを飾り、カンヌ国際映画祭の「監督週間」にも招待された。2016年にはAmazonの『ドキュメンタル』、2019年には『探偵!ナイトスクープ』の局長を務めるなど、活動の幅を広げ続けた。

活動休止と再開

2024年1月、『週刊文春』の報道をめぐる裁判に注力するとして芸能活動の休止を発表し、同年11月に訴えを取り下げた。2025年11月1日には有料配信サービス「DOWNTOWN+」の生配信に出演して活動を再開している。盟友の高須光聖や番組プロデューサーの藤井健太郎らから「テレビの0→1を発明した芸人」「新しいルールを作って革命を起こした」と評され、「言葉の笑い」を高度なものとして確立し、現代のお笑い界全体に大きな影響を与えた存在である。

尼崎市立潮小学校から兵庫県立尼崎工業高等学校を卒業し、小学4年の頃には友人とトリオを組んで漫才を演じるなど幼い頃から笑いに親しんでいた。「笑いは発想」を持論とし、面白い芸人の条件として「ネクラ・貧乏・女好き」を挙げる独自の笑い論を展開。尊敬する芸人として島田紳助を度々挙げ、2001年から約7年半続いたラジオ番組『放送室』では親友の高須光聖と語り合った。

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