Peter the Great|歴史上の人物|1672年6月9日生まれ
ピョートル大帝は、ロシア帝国の皇帝として、ロシアを近代化し、ヨーロッパ列強の一員へと押し上げた改革者である。西欧の技術や制度を積極的に導入し、軍事力強化、産業振興、教育改革などを断行。その激しい改革はロシアを大きく変貌させ、現代ロシアの礎を築いた。
1672年、モスクワに生まれたピョートルは、ロシアの未来を担う存在として育っていく。幼少期から外国の文化や技術に強い関心を示し、特に西欧の進んだ文明に魅せられていた。当時のロシアは、ヨーロッパ列強に比べて後進的な状況にあり、ピョートルはこれを憂慮していた。将来、ロシアを偉大な国へと導くためには、抜本的な改革が必要だと彼は確信していたのである。
1682年、10歳で共同皇帝となったピョートルは、やがて実権を握り、その激しい改革を繰り広げることになる。彼は、自ら船大工としてオランダに渡り、造船技術を学ぶなど、現場主義を貫いた。また、大使館の一員としてヨーロッパ各地を遍歴し、軍事、政治、経済、文化など、あらゆる分野の知識と技術を吸収した。
帰国後、ピョートルは「大改革」と呼ばれる一連の政策を断行する。まず、軍事力の近代化に力を注いだ。強力な陸軍と海軍を組織し、スウェーデンとの北方戦争に勝利することで、ロシアはバルト海への出口を確保し、ヨーロッパとの交易路を確立する。これは、ロシアがヨーロッパ列強の一角として台頭する上で、決定的な意味を持った。
さらに、産業の振興にも力を入れた。鉱山開発や工場建設を奨励し、鉄鋼業や繊維産業などを発展させた。教育制度の改革も進め、科学技術学校や海軍学校などを設立し、後進育成に努めた。また、文化面でも、西欧風の服装を奨励したり、暦を改定したりするなど、ロシア社会の近代化を推し進めた。首都をモスクワから、自ら設計に携わった「西欧への窓」と呼ぶべき新都サンクトペテルブルクへと遷都したことも、彼の改革の象徴的な出来事である。
ピョートル大帝は、その行動力と意志の強さで知られている。時に強引で容赦のない面もあったが、それはロシアを偉大な国にしたいという強い決意の表れであった。彼は、旧弊に囚われず、新しいもの、より良いものを積極的に取り入れる柔軟な発想を持っていた。
彼の改革は、ロシア社会に大きな変革をもたらした。それまで孤立していたロシアは、ヨーロッパの国際社会へと進出し、その地位を高めた。近代的な国家としての基盤が築かれ、後のロシア帝国繁栄の礎となったのである。しかし、その急激な改革は、伝統的なロシア社会との軋轢を生み、多くの犠牲者も出した。
ピョートル大帝の功績は、ロシアを「西欧化」し、近代国家へと脱皮させた点にある。彼の改革は、現代ロシアの形成にも多大な影響を与えている。彼は、ロシアを眠れる巨人から目覚めさせ、世界史にその名を刻む偉大な皇帝であったと言えるだろう。