お市の方の年表

Oda Nobunaga sister|歴史上の人物|1547年1月25日生まれ

戦国時代を代表する美女として知られるお市の方は、織田信長の妹として波乱の運命を歩んだ。織田・浅井の同盟を繋ぐため浅井長政に嫁ぎ三女をもうけるが、信長の裏切りにより夫と長男を失う。信長亡き後は柴田勝家と再婚するも、羽柴秀吉との覇権争いに敗北。最期は夫と共に北ノ庄城で自害するが、彼女の血筋は娘たちの「三姉妹」を通じて徳川・豊臣の両家へと受け継がれ、後の江戸幕府へと繋がっていくこととなった。

お市の方の人生紹介

悲劇の幕開けとなった浅井家への輿入れ

お市の方は、戦国時代の覇者・織田信長の妹として生まれた。彼女の名が歴史の表舞台に大きく登場するのは永禄10年(1567年)のことである。信長は美濃攻略を有利に進め、やがて来る上洛への布石として、近江の有力大名・浅井長政との同盟を画策した。その証として、当時二十歳前後であったお市の方を長政のもとへ嫁がせたのである。政略結婚ではあったが、二人の仲は睦まじかったと伝えられている。お市の方は長政との間に、茶々、初、江という後の時代を動かすことになる三人の娘を授かった。

しかし、幸福な生活は長くは続かなかった。元亀元年(1570年)、信長が浅井家と長年の同盟関係にあった朝倉義景を攻めたことで、浅井・織田の同盟は破綻する。長政は信長を裏切り、朝倉側につくことを決断した。この事態にお市の方は板挟みとなり、織田家へ陣中見舞いと称して「小豆の袋」を送り、袋の両端を縛ることで信長に包囲の危機を知らせたという逸話が残るほど、家族と兄の間で葛藤した。最終的に浅井家は小谷城の戦いで敗北。長政は自害を選び、お市の方は兄・信長の命令によって、三人の娘を連れて織田家へと連れ戻されることとなった。

誇り高き散り際と受け継がれる血脈

夫を失ってからの約10年間、お市の方は織田家の保護下で静かな生活を送っていたとされる。しかし、天正10年(1582年)の本能寺の変で兄・信長が討たれると、再び彼女の運命は激変する。織田家後継者の決定会議である「清洲会議」において、宿老である柴田勝家との再婚が決まったのである。この再婚は、急速に台頭する羽柴(豊臣)秀吉に対抗しようとした勝家の意図もあったとされるが、お市の方は三十代半ばという、当時としては晩年の再婚を受け入れ、勝家の居城である越前北ノ庄城へと移り住んだ。

しかし、天下の覇権を狙う秀吉の手は、すぐそこまで迫っていた。天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで敗れた勝家は北ノ庄城に追い詰められた。勝家はお市の方に対し、娘たちと共に城を出るよう勧めたとされる。しかし、、一度は織田家へ戻ることで生き永らえた彼女であったが、今度は夫と共に死ぬ道を選んだ。お市の方は最期まで武家の女性としての誇りを失わず、三人の娘を脱出させた後、燃え盛る城の中で勝家と共に自害した。享年37。彼女自身の人生は幕を閉じたが、その血脈は死に絶えることはなかった。遺された三姉妹は、長女の茶々が豊臣秀吉の側室、三女の江が徳川秀忠の正室となり、後の時代の中心を担っていく。戦国の世に翻弄されながらも、その気高い精神は、日本史における女性の象徴として語り継がれている。

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