Spartacus|歴史上の人物|-111年生まれ
スパルタクスは、共和政ローマ期に発生した史上最大規模の奴隷蜂起「第三次奴隷戦争」を率いた剣闘士である。トラキア出身の彼は、カプアの養成所を脱走した少数の仲間と共に蜂起し、高度な戦術を駆使して強大なローマ軍を幾度も破った。最後は非業の死を遂げたが、抑圧された人々の自由への渇望を体現する象徴として、その名は後世の革命家や文学者に多大な影響を与え続けている。
紀元前73年、共和政ローマの圧政下にあったイタリア半島で、歴史を揺るがす巨大な動乱が幕を開けた。その中心にいたのが、カプアの剣闘士養成所から脱走したスパルタクスである。もとはトラキア出身の兵士であった彼は、数奇な運命を経て奴隷の身分に落とされ、見世物として殺し合う剣闘士となった。しかし、彼は自らの運命をただ受け入れることはなかった。約70人の仲間と共に厨房の包丁を手に取って養成所を突破すると、近隣のヴェスヴィオ山に立てこもり、自由を求める奴隷たちの指導者として立ち上がったのである。
彼の軍勢は瞬く間に膨れ上がった。虐げられていた農奴や牧夫たちが、スパルタクスの掲げる「自由」の旗の下に続々と集結したためである。スパルタクスは単なる暴徒のリーダーではなかった。彼はローマ軍の戦術を熟知しており、即席の軍隊を訓練して組織化し、正規軍を翻弄する高度なゲリラ戦を展開した。紀元前72年、39歳を迎えた彼は、派遣された複数のローマ軍を次々と粉砕。北イタリアまで軍を進め、アルプスを越えて故郷へ帰る道筋を一度は確保するに至った。しかし、仲間内の意見対立やローマへの略奪欲求により、軍は再び南下。この決断が、悲劇的な結末へのカウントダウンとなった。
危機感を募らせたローマ元老院は、当時最大の富豪であったマルクス・リキニウス・クラッススに全権を委ね、8個軍団を投入した。スパルタクス軍は約12万人まで膨れ上がっていたとされるが、物資の枯渇と足並みの乱れが徐々に彼らを追い詰めていく。紀元前71年、ついにイタリア南部のシラルス川付近で、スパルタクスはクラッススの大軍と正面から激突することとなった。40歳という円熟期に差し掛かった彼は、死を覚悟した戦いに挑んだ。戦いが始まる前、彼は自らの馬を斬り捨て、「勝てば馬などいくらでも手に入る、負ければもはや必要ない」と言い放ち、敵陣へと突撃したという。
乱戦の中で、スパルタクスは華々しく戦死したとされる。彼の遺体は見つからなかったが、生き残った6000人の反乱軍兵士はアッピア街道沿いに磔にされ、反乱の代償をローマ市民に見せつける形となった。しかし、物理的な敗北にもかかわらず、スパルタクスの名は消え去ることはなかった。彼の闘争は、圧倒的な権力に抗い、人間の尊厳を守るために戦った英雄の伝説として昇華された。近代に至っても、カール・マルクスやローザ・ルクセンブルクら革命家たちが彼を「労働者の英雄」として称え、小説や映画を通じて、彼の自由への渇望は今なお世界中で語り継がれている。