太田光の年表

Hikari Ota|アーティスト・作家|1965年生まれ

お笑いコンビ・爆笑問題のボケとネタ作りを担当する日本のお笑いタレント。小説や文筆でも知られる。

太田光の人生紹介

本好きの少年から漫才師へ

1965年、埼玉県入間郡福岡町(現・ふじみ野市)に生まれる。建築士で書道も嗜む父・三郎からは落語や文楽など人を楽しませることを、女優志望だった母・瑠智子からは演劇や小説の楽しさを教わった。「光」という名は、正しい「right」と明るい「light」の意味を掛けて父が名付けたものである。母の読み聞かせをきっかけに児童文学に親しみ、文学好きの父のもとで家には大量の本があったという。日本大学芸術学部演劇学科に進み、そこで相方となる田中裕二と知り合う。大学は中退し、1988年3月に田中とお笑いコンビ「爆笑問題」を結成した。1990年には同じ事務所のタレントで、のちにタイタン社長となる太田光代と結婚。2012年に父、2016年に母を亡くしている。

時事漫才とBIG3との共演

爆笑問題では荒唐無稽なボケとネタ作りを担当し、政治・社会問題を題材にした時事漫才で注目を集めた。本人は「社会風刺をしているわけではない、ウケればそれでいい」と語るが、その知的なイメージと鋭い切り口は高く評価されている。一方で公の場では話を脱線させたり無鉄砲な言動をすることも多く、毀誉褒貶の激しい人物でもある。タモリ・ビートたけし・明石家さんまのお笑いBIG3それぞれと漫才をした唯一の芸人でもあり、立川談志とのやり取りや、木村拓哉・嵐など異業種の著名人との即興コラボレーションにも積極的である。深く敬愛し最も影響を受けた人物はチャールズ・チャップリンだという。

文筆家としての顔

漫才のネタを自らパソコンでまとめるほか、小説の執筆でも知られる。作風はカート・ヴォネガットの影響が強いとされ、SFの体裁で社会や政治を茶化していく世界観が特徴だ。2010年の短編集『マボロシの鳥』、2012年の『文明の子』では寓話やSFの要素を織り込んだ作品を発表した。2023年刊行の長編小説『笑って人類!』は、映画の企画を作り直すなど計6年をかけた力作で、「シリアスな状況の中で日本の平和主義が通用したらどうなるか」を描いたという。雑誌の連載「芸人人語」は「本家『天声人語』よりも切れ味が鋭い」と評され、川柳や作詞、イラストの作成などセンスも評価されている。「やっぱり俺は日本という国が好きだ」と生まれ育った日本への愛情と世界平和への思いを発信し続けている。

テレビやライブでは話を脱線させたり過激な言動で物議をかもすことも多く、「バカッター芸人」と呼ばれる一方、情勢や番組に応じて真剣に語るなど芸風を使い分ける。くりぃむしちゅー・上田晋也から「あんたが売れた理由がわからない」と冗談交じりに言われるなど、先輩・後輩を問わず多くの芸人や著名人から愛されリスペクトされている。古舘伊知郎は太田のボケを「意味のあるトークを無意味化する気持ちよさ」と評した。作詞や川柳、イラストも手がけるなど、その多才ぶりは幅広い。

太田光は何歳のとき何をした?

太田光に関連する人物

同じ「アーティスト・作家」の人物

1965年生まれ(同い年)の人物

1965年生まれの人物一覧| 他の人物の年表を検索する →