Kiyoshi Atsumi|アーティスト・作家|1928年生まれ
『男はつらいよ』の車寅次郎を演じ、国民的人気を博した昭和の名優。没後に国民栄誉賞を受賞した。
渥美清は1928年、東京府東京市下谷区に生まれた。本名は田所康雄。病弱な少年時代をラジオや落語に親しんで過ごし、戦後は浅草のストリップ劇場の専属コメディアンとして芸の道を歩み始める。永六輔とは少年時代からの旧知で、役者を目指すきっかけには、ある刑事に「その顔を生かして役者になれ」と言われたことがあったという。1954年には肺結核で右肺を切除し約2年の療養生活を送り、この体験が後の人生観に大きな影響を与えた。1956年にテレビ初出演を果たし、『夢であいましょう』『若い季節』などでコメディアンとして全国に知られていった。
東京出身で田舎を持たない渥美にとって、脚本家・早坂暁の故郷である愛媛は特別な場所で、何度も旅に同行した。松竹新喜劇の藤山寛美を高く評価するなど勉強熱心でもあり、評判の映画や舞台をひそかに客席で観ていたという。1996年の最後の会食でもステーキを平らげるなど周囲に病を悟らせまいとし、最期まで「寅さん」のイメージを守り抜いた。
1963年の映画『拝啓天皇陛下様』で純朴な男を演じて俳優としての名声を確立。1968年にフジテレビでドラマ『男はつらいよ』が放送されると、翌1969年に松竹が映画化し、これが大ヒットしてシリーズ化された。渥美は柴又育ちのテキ屋で風来坊の主人公・車寅次郎を27年間にわたり48作で演じ続け、「寅さん」として国民的な人気を博した。一つのシリーズの最多作品としてギネスブックにも記録されている。1977年には『八つ墓村』で金田一耕助を演じて新境地を見せ、山田洋次監督からはその驚異的な記憶力と才能を「天才だった」と評された。
プライベートを徹底して秘匿し、「渥美清=寅さん」のイメージを壊さぬよう自宅や連絡先を仕事仲間にも明かさなかった。黒柳徹子ら数少ない友人との交流や、「風天」の俳号で俳句を詠む一面も知られる。晩年は病をおして撮影に臨み、1996年8月4日、転移性肺癌のため68歳で死去。遺言により家族だけの密葬が営まれた。没後、「人情味豊かな演技で広く国民に喜びと潤いを与えた」として国民栄誉賞が贈られ、俳優での受賞は長谷川一夫に次ぐ2人目となった。昭和を代表する名優として今なお愛されている。
東映時代に喜劇路線で伸び悩んだ後、松竹へ移籍して『男はつらいよ』という生涯の当たり役に出会った。脚本家の早坂暁とは20代に銭湯で知り合った終生の友で、実現しなかった第49作の構想にもその交流が反映されている。小野照崎神社に「一生禁煙する」と願掛けをしたところ寅さん役のオファーがきたという逸話も残り、死後は柴又に記念館が設けられた。柴又八幡神社古墳から出土した埴輪が寅次郎に似ているとして「寅さん埴輪」と呼ばれるなど、没後もそのイメージは人々に親しまれ続けている。黒柳徹子を妹のように思い、プライベートでも付き合う数少ない友人として長く親交を続けた。