所ジョージの年表

George Tokoro|アーティスト・作家|1955年生まれ

「シンガーソングコメディアン」を自称し、音楽・司会・趣味まで多彩に活動する日本のタレント。

所ジョージの人生紹介

所沢の青年、芸名を得る

1955年、埼玉県所沢市に生まれる。本名は芳賀隆之。父は銀行員、母は競輪場に勤めていた。拓殖大学商学部に進学するも授業にほとんど出ず2年に進級できず、学費未納で除籍となり音楽の道を志した。デモテープが認められて音楽業界に入り、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのボーヤとしてライブハウスの前座を務める。そこで宇崎竜童と出会い、出身地の所沢市と柳ジョージをモチーフに「所沢の柳ジョージ」という意味で「所ジョージ」と命名された。1977年、シングル『ギャンブル狂想曲』でシンガーソングライターとしてデビューする。曲作りは吉田拓郎やレッド・ツェッペリンの影響をベースにしていると語る。

タレント・司会者として

デビューと同年、無名のまま『オールナイトニッポン』のメインパーソナリティに抜擢され、本格的にタレント業へ進出。1979年には『ドバドバ大爆弾』の司会に就任して一躍名が知れ渡った。1983年からは親交の厚いタモリが司会を務める『笑っていいとも!』にレギュラー出演し、1985年からは『所さんのただものではない!』が始まるなどバラエティに欠かせない存在となる。「シンガーソングコメディアン」を自称し、肩の力を抜いたいい意味での「いい加減さ」が人気を呼び、多数の冠番組と長寿番組を抱える国民的タレントとなった。1986年からはミスタードーナツ、1996年からは宝くじのCMイメージキャラクターを務め、「理想の父親」「上司ランキング」の常連でもある。

唯一無二の音楽と現在

実体験をモチーフにした楽曲やパロディを得意とし、ジャンルにとらわれない曲作りで宇崎竜童や奥田民生らから高く評価されてきた。1999年には明石家さんまの人生を描いた曲を本人も参加させて制作し、2004年にはコブクロと「トコブクロ」を結成するなど遊び心に富んだ企画でも知られる。音楽評論家の萩原健太は「日本で一番過小評価されているシンガーソングライター」と評し、1997年にはCM出演がアメリカの経済紙の一面に取り上げられたこともある。近年はYouTubeチャンネル「SETAGAYA BASE」でも新曲を発信。かつては還暦での引退もささやかれたが、2024年には他アーティストへ提供した楽曲で日本レコード大賞作曲賞を受賞し、70歳の古希を迎えた現在も幅広い分野で芸能活動を続けている。

芸名はタモリや伊東四朗ら親しい面々からさまざまに呼ばれるが、一般には「所さん」の愛称で親しまれ、司会番組の多くに頭に「所さんの」が付く。実体験を題材にした歌は「ドキュメンタリーソングの第一人者」と評されたこともあり、コミックソングの一方で心に染み入る深い曲も数多く残してきた。宝くじやミスタードーナツなど無数のCMに出演し、そのテーマソングも自ら作詞・作曲してきた。趣味の世界を存分に楽しむ肩の力の抜けた生き方そのものが、多くの人にとっての憧れとなっている。

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