Minamoto no Yoshitsune|歴史上の人物|1123年生まれ
源頼朝・義経の父である源義朝は、平安時代末期の武将である。保元の乱、平治の乱といった源平合戦の前哨戦で活躍するが、平治の乱で敗北し、捕らえられ殺害された。その死は、後の源氏の天下取りの礎となった。
平安時代末期、武士が台頭し始めた激動の時代に、源氏の棟梁としてその名を轟かせた人物がいる。源義朝である。彼は、後に天下を取ることになる弟・源頼朝、そして悲劇の武将として語り継がれる源義経の父であり、源平合戦の幕開けを告げる前哨戦において、その武勇と野心を遺憾なく発揮した。しかし、その人生は栄光の頂点から一転、悲劇的な終焉へと突き進んでいくのである。
義朝の人生における大きな転機となったのは、保元の乱(1156年)と平治の乱(1159年)である。これらは、後白河天皇と崇徳上皇の対立、そして藤原氏内部の権力争いが源氏と平氏の台頭を招いた、いわば源平合戦の序章とも呼べる戦いであった。
保元の乱では、義朝は崇徳上皇方に味方したが、最終的には後白河天皇方の勝利に終わった。この戦いにおいて、義朝は奮戦し、その武才を世に知らしめた。しかし、この敗北は、後の平氏への警戒心を煽り、彼自身の立場を危うくする一因ともなった。
そして、迎えた平治の乱。この戦いは、義朝にとってまさに人生を賭けた一大決戦であった。当初は藤原氏の藤原信頼と結び、平清盛ら平氏に対抗したが、戦局は義朝たちの不利へと傾いていった。敵対する平氏の勢いは凄まじく、巧みな戦略と武力によって、源氏軍は次第に追い詰められる。義朝は最後まで奮戦したが、形勢は覆らず、ついに敗北を喫するのであった。
平治の乱の敗北は、義朝の人生に終止符を打つことになる。捕らえられた義朝は、尾張国(現在の愛知県西部)で捕らえられ、殺害された。享年わずか37歳。その死は、源氏にとって大きな痛手であり、一時的に源氏の勢力は衰退したかに見えた。
しかし、義朝の死は、決して無駄であったわけではない。彼の息子である源頼朝は、父の遺志を継ぎ、やがて全国の武士を糾合して平氏を討伐し、鎌倉幕府を開くことになる。また、義朝のもう一人の息子、源義経は、兄・頼朝の右腕として源平合戦における数々の勝利を収め、源氏の天下取りを決定づける活躍を見せた。
義朝自身は、天下統一の夢を目前にして散ったが、彼の血と志は、息子たちへと確かに受け継がれた。彼の存在なくして、後の源氏の天下取り、そして武家政権の誕生は語れない。源義朝は、自らの命を賭して、源氏が新たな時代の主役となるための、揺るぎない礎を築いたのである。