Oskar Schindler|歴史上の人物|1908年4月28日生まれ
1908年生まれのドイツ人実業家。第二次世界大戦中、ナチス党員という立場を利用してポーランドのクラクフでエネメル工場を経営した。当初は利益追求が目的であったが、ホロコーストの惨状を目の当たりにし、ユダヤ人労働者の保護を決意。36歳の時に作成した「シンドラーのリスト」により、1,200人以上のユダヤ人を絶滅収容所への移送から救い出し、戦後はその人道的功績から高く評価されている。
オスカー・シンドラーは、1908年に現在のチェコ共和国にあたるオーストリア・ハンガリー帝国のモラヴィアで生まれた。野心的な実業家であった彼は、第二次世界大戦が勃発するとドイツ軍の侵攻に乗じて一獲千金を狙い、ポーランドのクラクフへと向かう。1939年、31歳の時に没収されたユダヤ人の工場を引き継ぎ、「ドイツ・エナメル器物工場(DEF)」を設立した。当初の彼は、安価な労働力としてユダヤ人を雇用し、軍需物資の製造を通じて富を築くことに執着する典型的な戦争利得者に過ぎなかった。
しかし、クラクフ・プワシュフ強制収容所の指揮官アーモン・ゲートによる残虐な虐殺を目の当たりにすることで、シンドラーの心中には変化が生じ始める。彼は、収容所へ送られるはずの労働者たちが「工場の運営に不可欠な熟練工である」と主張し、当局に賄賂を贈ることで、彼らを自身の保護下に留めるようになった。エナメル工場は単なる製造拠点ではなく、ナチスの魔の手から逃れるための奇跡的な避難所へと変貌していったのである。
1944年、戦況が悪化しソ連軍が迫ると、ナチスは収容所の閉鎖と囚人の殺害、あるいはアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所への移送を決定した。シンドラーはこの危機に際し、自身の財産をすべて投げ打つ覚悟を決める。彼は工場の拠点を故郷に近いブリュンリッツへ移転させる許可を取り付け、そこへ連れて行く「熟練工」の名簿を作成した。これがいわゆる「シンドラーのリスト」である。36歳の時、彼はこのリストに記された1,200人以上のユダヤ人を死の淵から救い出した。
ブリュンリッツの工場では、生産効率は意図的に落とされ、実態としてはほとんど兵器を生産しなかった。彼はドイツ軍を欺くために、他所で製造された製品を買い取って自社製品として納品することさえあったという。1945年のドイツ降伏時、シンドラーは全財産を使い果たしていたが、代わりに1,200もの尊い命を守り抜いた。戦後、彼はイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」として表彰されることになる。一人の強欲な実業家が、絶望の時代に人道の光を灯したこの物語は、今もなお人々の心に深く刻まれている。