Tutankhamun|歴史上の人物|-1341年生まれ
ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)は、古代エジプト第18王朝のファラオである。紀元前1341年頃に生まれ、わずか9歳で王位に就いた。父王アメンホテプ4世が断行した一神教改革を撤回し、アメン神を中心とする伝統的な多神教信仰を復活させたことで知られる。19歳という若さで急逝したが、1922年に発見された王墓から華麗な黄金のマスクをはじめとする副葬品がほぼ無傷で見つかり、世界中にその名が轟いた。
紀元前14世紀、古代エジプトは激動のさなかにあった。異端の王として知られる父、アメンホテプ4世(アクエンアテン)は、従来の多神教を廃して太陽神アトンの唯一神信仰を強行し、首都をアマルナへと移していた。この宗教改革はエジプト社会に深刻な混乱と対立をもたらしたのである。そのような不穏な空気の中で誕生したツタンカーメンは、父の崩御後、わずか9歳という年齢でファラオに即位した。
幼い王の後見人となったのは、廷臣アイや将軍ホルエムヘブといった実力者たちであった。彼らの影響下で、ツタンカーメンは即位からわずか3年後の12歳の時、歴史的な決断を下す。父が否定した伝統的な神々、特に最高神アメンを中心とする多神教への回帰を宣言したのである。王は自らの名をアテン神に由来する「トゥトアンクアテン」から、アメン神を讃える「トゥトアンクアメン(ツタンカーメン)」へと改名した。この「再生」の時代において、アマルナは放棄され、政治の中心は再びメンフィスやテーベへと戻されることとなった。少年王の治世は、父が壊したエジプトの秩序を修復し、神々の調和を取り戻すための、国家的な修復作業の連続であったといえる。
しかし、伝統回帰の象徴であったツタンカーメンの治世は長くは続かなかった。紀元前1323年頃、彼はわずか19歳前後でこの世を去ることになる。その死因については長年、暗殺説、事故説、病死説など多くの議論が交わされてきたが、近年の科学的調査では、骨折による合併症や重度のマラリアなどが重なったことが原因である可能性が高まっている。突然の死であったためか、彼の墓は王家の谷の中で非常に小規模なものが流用され、死後の処置も急ピッチで行われた形跡が見られる。
その後、ツタンカーメンの存在は歴史の闇に埋もれ、後世の王名表からも抹消される不遇の時期を過ごした。しかし、皮肉にもその「忘れ去られた存在」であったことが、墓の盗掘を免れる最大の要因となった。3000年以上の時を経た1922年、英国の考古学者ハワード・カーターが、別の王の墓の瓦礫に隠されていた彼の墓を発見する。狭い墓室内には、精緻な彫刻が施された黄金のマスク、壮麗な戦車、そして王の権威を示す数多の財宝が、当時の輝きを保ったまま詰め込まれていた。この「黄金の少年王」の発見は、考古学史上最大の成果として世界に衝撃を与えた。短くも激動の時代を生きた幼きファラオの名は、この発見によって、歴史上最も有名なエジプト王の一人として永遠に刻まれることとなったのである。