Dietrich Bonhoeffer|歴史上の人物|1906年2月4日生まれ
ディートリヒ・ボンヘッファーは、ナチス独裁政権に果敢に立ち向かったドイツの神学者である。24歳で神学博士号を取得する才能を示し、著書『服従』を通じてキリスト教の本質を説いた。平和主義者でありながら、ヒトラー暗殺計画に関与。非人道的な体制への抵抗を貫き、39歳で処刑されるまで「安価な恵み」を否定し、良心に従って生きることを身をもって証明した20世紀を代表する殉教者の一人である。
ディートリヒ・ボンヘッファーは、1906年にベルリンの知的な家庭に生まれた。わずか24歳で神学博士号を取得するという神童ぶりを発揮した彼は、エリート神学者としての将来を約束されていた。しかし、彼の歩む道は、書斎の中だけに留まるものではなかった。1930年代、ドイツにナチズムの嵐が吹き荒れる中、彼はキリスト教がいかに世俗の権力と向き合うべきかを問い続けた。
1937年に出版された主著『服従』の中で、彼は現代の教会に蔓延する「安価な恵み」を鋭く批判した。それは、悔い改めのない罪の赦しであり、十字架のない恩寵である。ボンヘッファーは、キリストに従うことは「高価な恵み」であり、それは自らの生命を賭けて神の言葉に従うことであると主張した。ナチスが国家教会を通じてキリスト教を歪めようとする中、彼は「告白教会」の一部として、政府の圧力に屈せぬ真の信仰のあり方を追求し続けたのである。
ボンヘッファーの行動は、やがて神学の枠を超え、政治的な抵抗へと踏み出すことになる。彼は平和主義を掲げる神学者でありながら、ヒトラーという「理性の狂った運転手」から救急車(国家)を取り戻すには、その運転手を排除するしかないという結論に達した。彼はドイツ国防軍の諜報部に身を置きながら、裏ではナチス政権を転覆させるための秘密工作に関与し、暗殺計画の一端を担うという危険な二重生活を送った。
1943年、彼は秘密国家警察ゲシュタポによって逮捕される。監獄での生活は2年に及んだが、その間も彼は思索を深め、「世俗化された世界におけるキリスト教」という新たな神学の地平を切り拓いていった。しかし、1945年4月、敗色濃厚なナチス政権は、終戦のわずか数週間前に彼の死刑を執行した。39歳での殉教であった。刑場に向かう際、彼は仲間の囚人に「これが終わりだ。だが私にとっては、命の始まりだ」と言い残したと伝えられている。彼の生涯は、どれほど過酷な時代であっても、人間が良心に従って行動し得るという希望を、今もなお世界に示し続けている。