Princess Diana|歴史上の人物|1961年7月1日生まれ
ダイアナ・スペンサーは、イギリスの元皇太子妃であり、20世紀後半で最も愛された公人の一人である。20歳でチャールズ皇太子と結婚し、二児の母として献身的な愛を注ぐ傍ら、人道支援活動にも尽力した。王室の伝統に縛られず、地雷撤去やエイズ患者支援など、社会の周縁に置かれた人々に直接手を差し伸べる姿は「民衆のプリンセス」と称えられた。36歳の若さで悲劇的な事故により急逝したが、その遺志は今も語り継がれている。
1981年、ロンドンは祝福の渦に包まれていた。わずか20歳でチャールズ皇太子と結婚したダイアナ・スペンサーは、まるでおとぎ話から抜け出したプリンセスのように世界中の人々の目を釘付けにした。翌年には長男ウィリアム王子、その2年後には次男ヘンリー王子を出産し、彼女は幸せの絶頂にいるかのように見えた。しかし、華やかなロイヤルファミリーとしての生活の裏側で、ダイアナは深刻な孤独と苦悩を抱えていたのである。
伝統を重んじるイギリス王室という巨大な権威の中で、若く自由な感性を持つ彼女は次第に孤立していく。夫との不和や摂食障害、パパラッチによる執拗な追跡は、彼女の精神を深く蝕んだ。しかし、彼女が真に非凡であったのは、その苦しみを個人の悲劇に留めず、他者への共感へと昇華させた点にある。王室のしきたりを破り、手袋を外してエイズ患者と握手をし、ハンセン病患者の手に触れるその姿は、偏見に満ちた社会の壁を打ち破る力強いメッセージとなったのである。
1996年、長きにわたる別居を経てチャールズ皇太子との離婚が成立した。皇太子妃という称号を失ったものの、彼女は「心の王妃」として、より精力的に人道支援活動にのめり込んでいく。特にアンゴラやボスニアでの地雷撤去キャンペーンは、彼女の死後、対人地雷禁止条約の発効に向けて世界を動かす大きな原動力となった。彼女はもはや王室の一員という枠を超え、一人の自立した女性として、自らの足で世界を変えようとしていた。
しかし、自律した道を歩み始めた矢先の1997年8月31日、悲劇は訪れる。パリのアルマ橋トンネルで、パパラッチの追跡を逃れようとした車が衝突事故を起こし、ダイアナは36歳という若さで帰らぬ人となった。彼女の突然の死は、全世界を深い悲しみと衝撃に突き落とした。ロンドンで行われた葬儀には数百万人が詰めかけ、彼女が愛した「民衆」が彼女を見送ったのである。ダイアナが遺したものは、単なるファッションやスキャンダルの記憶ではない。それは、苦しむ者に寄り添う慈愛の精神と、伝統ある組織にあっても自分らしさを失わない勇気であり、彼女の物語は今もなお多くの人々の心に灯をともし続けている。