Sayuri Yoshinaga|アーティスト・作家|1945年生まれ
1960年代を代表する国民的映画女優。「サユリスト」と呼ばれる熱心なファンを持ち、半世紀以上第一線で活躍を続ける。
1945年、終戦の年に生まれる。本名は岡田小百合。小学6年のときラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビューし、1959年に松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。翌1960年に日活へ入社した。1962年公開の『キューポラのある街』でブルーリボン賞主演女優賞を受賞し、同年に発表したレコード「寒い朝」は50万枚以上、橋幸夫とのデュエット「いつでも夢を」は300万枚の大ヒットとなる。浜田光夫との純愛・青春映画路線で1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こし、松原智恵子・和泉雅子とともに「日活三人娘」と呼ばれた。熱心なファンは「サユリスト」と称された。
多忙な俳優業のかたわら、1965年には早稲田大学第二文学部に入学し、1969年には次席で卒業する努力家でもあった。1960年代は社命による「恋愛禁止令」を守りながら「清純なお嬢さん」像を演じ続けたが、娘役から大人の女性への転換には苦心した。日本映画の衰退期とも重なるなか、1975年の『青春の門』を皮切りにその殻を破り、1981年の『夢千代日記』では大人の女性の内的情感を豊かに表現して、演技派としての評価を確立していく。1988年の『つる -鶴-』で映画出演は通算100作に達した。
広島を舞台にした作品や原爆症の女性を演じた経験から、1986年にはボランティアで原爆詩の朗読会を始めた。以後、女優活動と並行して反戦・反核をライフワークとし、各地で朗読を続けている。「終戦と同い年」であることをあえて公表しながら、戦争の記憶を語り継ぐ姿勢でも知られる。1990年代以降は映画を中心に半世紀以上にわたり主演を務め続け、日本映画史にその名を深く刻む、まさに国民的女優である。
『男はつらいよ』シリーズにマドンナとして出演し、『夢千代日記』『海峡』『長崎ぶらぶら節』など数々の名作で主演を務めた。断崖での撮影も吹き替えなしで演じるなど、役への強い覚悟と集中力でも知られる。少女時代には父の事業の失敗で米びつが空になる日もあったが、芸能活動を通じて家計を支えた苦労人でもある。清純なイメージで時代を象徴しながら、成熟とともに演技派としての深みを増し、反戦・反核への真摯な姿勢も貫いてきた。幅広い世代から敬愛を集める吉永小百合は、日本の映画文化を体現する存在であり続けている。
『赤胴鈴之助』の子役から出発し、歌ではミリオンヒットを放ち、映画では通算100作を超える主演を務めるという歩みは、日本の芸能史そのものと重なる。清純派アイドルとして一時代を築いたのち、年齢とともに演じる女性像を深化させ、円熟した大人の女優へと脱皮してみせた。学業にも真剣に取り組み、俳優業と両立させて大学を卒業した努力家でもある。半世紀以上にわたって第一線に立ち続けながら、平和への祈りを静かに訴え続ける姿は、多くの人々の深い敬愛を集めている。