Ken Takakura|歴史上の人物|1931年2月16日生まれ
高倉健は、日本の国民的俳優として、任侠映画を中心に数々の名作に出演した。寡黙で不器用ながらも、筋を通し、義理人情を重んじる“昭和の男”を体現する孤高の存在として、多くの人々の心を掴んだ。その渋い演技と独特の存在感で、日本映画界に確固たる地位を築き上げた、まさに歴史に名を刻む人物である。
1931年(昭和6年)、福岡県福岡市に生を受けた高倉健は、幼少期からその繊細な感性を育んでいた。幼少期を疎開先である旧・豊浦郡弾丸村(現・豊浦町)で過ごし、終戦を経て再び福岡市へ。日本大学商学部に入学するが、学業に専念するよりも、早く世に出たいという思いが募る。卒業後、1956年(昭和31年)、東映ニューフェイスとして東映に入社。芸名を「高倉健」と改め、俳優としてのキャリアをスタートさせる。
俳優デビュー後、彼はその端正な容姿と、どのような役柄をも我が物とする誠実な演技力で、次第に注目を集めていく。特に、1957年(昭和32年)公開の『初陣』で初主演を飾ると、その人気は不動のものとなる。しかし、高倉健の名を日本中に轟かせたのは、なんといっても「任侠映画」であった。
1960年代から1970年代にかけて、高倉健は東映の任侠映画シリーズで数々の“仁侠”を演じきった。寡黙で、滅多に感情を表に出さない。しかし、その内には強い信念と義理人情を秘めている。理不尽な暴力に立ち向かい、弱き者を守るために自らの命をも顧みない。こうした「昭和の男」とも称される孤高のヒーロー像は、当時の時代背景とも相まって、多くの人々の共感を呼んだ。
『網走番外地』シリーズ、『日本侠客伝』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズなど、彼の主演作は軒並み大ヒットを記録。その度に、高倉健という俳優は、単なる人気スターという枠を超え、国民的なアイコンとなっていった。彼は、映画の中だけでなく、その私生活においても、多くを語らないストイックな生き方を貫き、どこか近寄りがたく、しかし目が離せない、独特のオーラを放っていた。
任侠映画で一時代を築いた後も、高倉健は俳優としての探求を怠らなかった。1970年代後半からは、それまでのイメージとは異なる、より人間味あふれる役柄にも挑戦し、その演技の幅を広げる。1976年(昭和51年)公開の『八甲田山』や、1977年(昭和52年)公開の『幸福の黄色いハンカチ』では、それまでの任侠映画とは一線を画す、繊細な心情表現で観客を魅了した。
特に、1980年(昭和55年)公開の『動乱』で第3回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞、1981年(昭和56年)公開の『海峡』で第4回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞するなど、その演技力は数々の権威ある賞で高く評価された。さらに、1980年(昭和55年)公開の『G.I.ジョー』でハリウッド作品に初出演を果たし、国際的な舞台でも活躍。1990年代以降も、山田洋次監督作品など、数々の名作に出演し続けた。
2014年(平成26年)、肺炎のため83歳でこの世を去った高倉健。その生涯は、まさに日本映画の黄金期と共にあったと言える。寡黙でありながらも、その瞳には深い人間性が宿っていた。彼の演じた数々の「男」たちは、今なお多くの人々の心に生き続け、時代を超えて語り継がれていくことだろう。高倉健という存在は、日本映画史に燦然と輝く、かけがえのない宝である。