ホイットニー・ヒューストンの年表

Whitney Houston|アーティスト・作家|1963年生まれ

圧倒的な歌唱力から“ザ・ヴォイス”と呼ばれたアメリカの歌手・女優。世界で2億枚以上を売り上げた。

ホイットニー・ヒューストンの人生紹介

「ザ・ヴォイス」と呼ばれた歌声

1963年、アメリカ・ニュージャージー州ニューアークに生まれたホイットニー・ヒューストンは、歌に囲まれて育った。母シシーはスイート・インスピレーションズのリードボーカルで、従姉にはディオンヌ・ワーウィック、家族ぐるみで親しい間柄にアレサ・フランクリンがいた。幼い頃にバプティスト教会の聖歌隊でゴスペルを学び、11歳でソリストを務める。10代でモデルやバックボーカルとして頭角を現し、1983年、アリスタ・レコードのクライヴ・デイヴィスと契約した。デイヴィスはその才能を二年もの間、慎重に育てあげた。

記録を塗り替え続けた歌姫

1985年、デビューアルバム『そよ風の贈りもの』をリリース。当初は反応が鈍かったが、やがて爆発的な人気を得て、アルバムから三曲連続で全米シングルチャート一位という記録を打ち立てた。全世界で2500万枚を売り上げた本作は、最も成功したソロ・デビュー・アルバムとしてギネス世界記録に認定されている。

翌1987年の『ホイットニーII〜すてきなSomebody』では、女性アーティストとして初めてビルボード200に初登場一位を記録。このアルバムの四曲を含め、デビュー作から七曲連続で全米一位を獲得し、ビートルズの六曲連続を超える新記録は、今なお破られていない。その圧倒的な歌唱力から、彼女は「ザ・ヴォイス」の異名で呼ばれるようになる。1990年の『アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト』では自らエグゼクティブ・プロデューサーを務め、1991年の第25回スーパーボウルでの国歌斉唱は、歴史的な名唱として絶賛された。彼女はその収益を湾岸危機の基金に寄付している。

1992年、ケビン・コスナーの強い推薦で実現した初主演映画『ボディガード』のサウンドトラックは世界21カ国で首位を獲得し、史上最も売れたサウンドトラック・アルバムとなる。ドリー・パートンの曲をカバーした主題歌「オールウェイズ・ラヴ・ユー」はビルボードで14週連続一位、世界中で2400万枚以上を売り上げ、時代を超えて歌い継がれる一曲となった。翌1994年のグラミー賞では、同作が最優秀アルバム賞に輝いている。

光と影の果てに

栄光の陰で、私生活は次第に翳りを帯びていく。1992年にR&B歌手のボビー・ブラウンと結婚し翌年娘のボビー・クリスティーナをもうけるが、夫は幾度も法に触れ、1990年代後半からは彼女自身の奇行や欠席、遅刻が目立ち、薬物疑惑がたびたび報じられた。母シシーらが治療を促しても届かず、リハビリ生活を重ねながらも、その歌声への渇望は消えることがなかった。

2012年2月11日、ビバリーヒルズのホテルのバスタブで、意識不明の状態で発見される。48歳没。死因は溺死と心疾患、そしてコカインの影響とされた。故郷の教会で営まれた追悼式は世界中で報じられ、彼女の音楽は死後さらに人々に愛された。世界で2億2000万枚以上を売り上げた歌声は、今も色褪せることがない。

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