黒柳徹子の年表

Tetsuko Kuroyanagi|アーティスト・作家|1933年生まれ

日本史上最初のテレビ女優の一人。『徹子の部屋』の司会や『窓ぎわのトットちゃん』の著者として知られ、ユニセフ親善大使も務める国民的タレント。

黒柳徹子の人生紹介

テレビ放送とともに歩んで

黒柳徹子は1933年8月9日に生まれた。父はNHK交響楽団の前身でコンサートマスターも務めたヴァイオリニストの黒柳守綱、母はエッセイストの黒柳朝。音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科を卒業後、オペラ歌手になれないと分かり、「自分の子どもに人形劇や絵本の読み聞かせを上手にできるお母さんになろう」と思い立って、新聞で見かけたNHK放送劇団の俳優募集に応募する。約6,000人の応募者から第6次までの審査を経て、わずか13人の劇団員の一人に選ばれ、テレビ放送開始を翌月に控えた1953年1月に入団。日本史上最初のテレビ女優の第一号としてデビューした。幼少期は「問題児」とされ、小学校を退学になってトモヱ学園に転校した経験が、のちの著書の下地となっている。

草創期からの活躍

当初は個性的な声質や演技が嫌われ、ディレクターに降ろされそうになった時期もあったが、1954年のラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』でトン坊役を演じて一躍有名になる。以降、人形劇『チロリン村とくるみの木』『ブーフーウー』などに出演し、週6、7本のレギュラーを抱えるほど多忙を極めた。1958年には自身初となるNHK紅白歌合戦の紅組司会を務める。舞台出身俳優との演技力の差を感じ、慕っていた杉村春子に相談して文学座附属演劇研究所に入所し、江守徹らと同期で演技を学んだ。脚本家の向田邦子とも親交を深めた。1971年にはニューヨークへ1年間留学し、トレードマークとなる「タマネギヘア」を考案している。

国民的タレントとして

1976年、テレビ朝日で自身の冠番組『徹子の部屋』が始まり、長寿番組となる。同番組は「同一の司会者による番組の最多放送回数」としてギネス世界記録に認定され、その後も記録を更新し続けている。1978年からはTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』の司会も務め、最高視聴率41.9%を記録する大ヒットとなった。1981年刊行の著書『窓ぎわのトットちゃん』は累計800万部を記録する戦後最大のベストセラーとなり、1984年からはユニセフ親善大使を務めている。新しい物好きで、福山雅治に勧められて始めたInstagramでも映える画像を公開し若い世代にも好評を得るなど、テレビ草創期から21世紀まで第一線で活躍を続ける、日本のテレビ史を代表する存在である。累計800万部を記録した自伝的作品『窓ぎわのトットちゃん』では、幼い日に通ったトモヱ学園での日々を描き、戦後最大のベストセラーとして世代を超えて読み継がれている。1989年からは海外の喜劇を紹介する舞台「海外コメディ・シリーズ」をライフワークとして約30年にわたり上演した。女性として初めてニュースショーのキャスターやトーク番組の司会を務めた先駆者であり、日本芸術院会員にも選ばれている。長年にわたりユニセフ親善大使として、世界の子どもたちのための活動も続けている。

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