山口百恵の年表

Momoe Yamaguchi|アーティスト・作家|1959年生まれ

1970年代の日本を代表するアイドル・女優。「ひと夏の経験」「横須賀ストーリー」などのヒットで知られる。

山口百恵の人生紹介

絶頂のまま伝説になったアイドル

1959年、東京都渋谷区恵比寿に生まれた山口百恵は、幼少期を横須賀で過ごした。父には別の家庭があり、母が内職で生活を支える決して恵まれない環境であった。複雑な生い立ちは、後年の自叙伝で赤裸々に綴られることになる。中学時代、テレビで活躍する同い年の森昌子に憧れ、「自分も森昌子さんのようになりたい」とオーディション番組『スター誕生!』に応募。1972年、準優勝ながら20社から指名を受け、芸能界への扉を開いた。

青い性から、横須賀ストーリーへ

1973年、「としごろ」で歌手デビュー。森昌子・桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれた。翌年の「ひと夏の経験」で花開いた大胆な歌詞の路線は「青い性」と呼ばれ、純朴な少女のイメージとのギャップが独特の人気を生んだ。同じ年、文芸映画『伊豆の踊子』で三浦友和と共演し、二人は「ゴールデンコンビ」として絶大な支持を集める。

歌だけでなく、1974年からはTBSの『赤いシリーズ』に主演。『赤い疑惑』『赤い衝撃』などで三浦と共演して人気を集め、シリーズは六年にも及ぶ看板ドラマとなった。映画も『伊豆の踊子』以降に13作で主演し、そのうち12作が三浦との共演で、「モモトモ映画」と呼ばれて総勢1本平均200万人を動員した。

1976年の「横須賀ストーリー」からは、阿木燿子・宇崎竜童夫妻の作品を歌って新境地を開いた。この二人を作家として指名したのは百恵本人であったという。1978年の『NHK紅白歌合戦』では、10代の歌手として初めて紅組トリを務め、その最年少記録は今も破られていない。評論家の平岡正明が『山口百恵は菩薩である』を著し、写真家の篠山紀信が彼女を「時代を象徴する存在」と評したように、多くの文化人が「現代を象徴するスター」として語った。引退までにシングルは累計1,142万枚を売り上げ、1970年代に最もレコードを売った歌手となる。

マイクを置いて、一人の人へ

1980年、三浦友和との婚約発表と同時に、「我が儘な生き方を私は選びました。お仕事は全面的に、引退させて頂きます」と芸能界からの引退を公表する。同年の自叙伝『蒼い時』は発売から一か月で100万部を超える大ベストセラーとなった。

10月5日、日本武道館でのファイナルコンサート。「本当に、私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」と語り、最後の曲「さよならの向う側」を涙で絶唱すると、ステージ中央に静かにマイクを置いて舞台裏へ去っていった。この「マイクを置く」演出は、今も伝説として語り継がれている。引退時わずか21歳、活動期間は7年半ほどであった。

同年11月に三浦友和と結婚。その後は一貫して芸能界と距離を取り、二人の息子を育てた。作詞家として1982年にアン・ルイスへ提供した「ラ・セゾン」はヒットしたが、幾度の紅白出演交渉にも「既に引退しましたので辞退します」と応じることはなかった。1987年頃から独学で始めたキルト製作は今も続き、2019年には本名の三浦百惠名義で39年ぶりの著書となる作品集を出版している。惜しまれながら潔く舞台を降りたその生き方こそが、彼女を永遠の伝説にした。

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