Teresa Teng|アーティスト・作家|1953年生まれ
「アジアの歌姫」と呼ばれた台湾出身の歌手。アジア全域で絶大な人気を誇った。
1953年、台湾に生まれたテレサ・テンは、中華圏名を鄧麗君という。父は中国大陸から台湾へ渡った国民党軍の軍人、母は山東省出身で、ともに「外省人」の一組であった。男兄弟に囲まれて育った少女は、10歳でラジオ局主催の歌唱コンテストに優勝し、天才少女として注目を集める。14歳でプロ歌手としてデビュー、16歳で映画にも主演し、シンガポールやタイ、香港へと人気を広げ、若くしてアジアのトップスターとなった。
1974年、21歳で日本での活動を開始。当初のアイドル路線は不発に終わるが、演歌歌謡曲へ転じた「空港」が大ヒットし、日本レコード大賞新人賞を獲得する。1979年には中華民国が国交を持たない事情もあってインドネシアのパスポートで入国を試みたことが旅券法違反に問われ、一年間の国外退去処分を受けるという苦難も味わった。渡米を経て帰国を許された後は、台湾軍の慰問にも熱心に取り組み、「軍人の恋人」とも呼ばれた。ちなみに英語名テレサは、敬虔なカトリック信徒であった彼女の洗礼名に由来する。
1984年、日本のファンの強い要望で再来日が許される。荒木とよひさ作詞・三木たかし作曲による「つぐない」が有線放送を通じてじわじわとヒットし、翌年の「愛人」、さらに「時の流れに身をまかせ」と三部作が続けざまに大成功を収めた。『日本有線大賞』では史上初の三年連続大賞に輝き、単なる人気外国人歌手の枠を超えて、全アジアを代表する歌姫としての評価を不動のものとする。国語のほか台湾語・広東語・日本語・英語を操り、累計売上は低く見積もっても一億枚を超えたという。
歌の力は政治の壁をも越えた。中国本土では放送禁止とされてもなお密かに聴かれ、「昼は鄧小平、夜は鄧麗君」という言葉が流行するほどの影響力を持った。1989年、香港で行われた民主化支援コンサートでは約30万人を前に歌い、民主化を訴えた。しかし直後に天安門事件が起こり、両親の故郷である中国本土でのコンサートという夢は絶たれてしまう。「夢は殺され、夢は見ることさえできなくなってしまった」と、その心境を語っている。
失意のなかパリへ単身移住した後、次第に喘息を悪化させていく。1995年5月8日、静養先のタイ・チェンマイで発作に襲われ、搬送先の病院で息を引き取った。享年42。遺体は中華民国の国旗と国民党の党旗に覆われて台湾へ帰り、二百人を超える報道陣と三軍の儀仗兵に迎えられて、国葬に準ずる公葬が営まれた。火葬されずに眠るのは、台湾では蔣介石・蔣経国と彼女の三人のみだという。2009年には中国政府系サイトの調査で「新中国で最も影響力のあった文化人」の第一位に選ばれた。国境も体制も越えて愛された歌声は、今も墓前で絶えることなく流れ続けている。