Benazir Bhutto|歴史上の人物|1953年6月21日生まれ
ベナジール・ブットーは、パキスタン初の女性首相であり、イスラム圏においても女性指導者として初めて政権を担った歴史的人物である。名門ブットー家の出身であり、父ズルフカール・アリー・ブットーも元首相であった。民主主義の擁護者として知られ、軍事政権下での投獄や亡命を経験しつつも、国民からの支持を集めて二度首相に就任した。しかし、2007年に暗殺され、その生涯を終えた。彼女の存在は、パキスタンの政治史のみならず、世界における女性の地位向上においても重要な意味を持つ。
1953年、パキスタンに、後の歴史を大きく動かすことになる一人の女性が誕生した。ベナジール・ブットーである。彼女の生家は、パキスタン政治において極めて名門とされるブットー家であった。父は、後にパキスタン首相となるズルフカール・アリー・ブットー。裕福であり、かつ政治的影響力を持つ家庭に生まれた彼女は、幼い頃から政治の世界と無縁ではいられなかった。
幼少期をパキスタンで過ごした後、彼女は海外へと送られ、名門大学で学んだ。オックスフォード大学では政治学、哲学、経済学を専攻し、しばしば学生運動のリーダーとしても頭角を現した。この時期に培われた民主主義への強い信念と、国際的な視野は、後の彼女の政治活動の基盤となる。しかし、彼女が学業に励む傍ら、パキスタンの政治情勢は激動の時期を迎えていた。父ズルフカール・アリー・ブットーの政権が軍事クーデターによって倒され、父自身も投獄、そして処刑されるという悲劇が彼女を襲った。この出来事は、若きベナジールに深い衝撃を与えると同時に、父の遺志を継ぎ、パキスタンに民主主義を回復させるという決意を固めさせた。
父の処刑後、ブットー家は軍事政権によって厳しく監視され、ベナジール自身も軟禁状態に置かれるなど、数々の困難に直面した。しかし、彼女は決して屈しなかった。国内外の支援者たちの助けを得て、1980年代初頭には亡命生活を開始する。亡命先でも、彼女はパキスタンの民主化を訴える活動を続け、国際社会からの支持を集めていった。
1988年、軍事政権の終焉とともにパキスタンで民政移管が実現すると、ベナジールは歓喜のうちに帰国した。そして、同年の総選挙で彼女率いるパキスタン人民党(PPP)が勝利を収め、ベナジール・ブットーはパキスタン初の女性首相に就任した。これは、パキスタンのみならず、イスラム圏における女性指導者としての歴史的な快挙であった。彼女の誕生は、世界中の多くの女性たちに希望を与えた。
首相としての彼女の任期は、決して平坦なものではなかった。軍部や保守層からの抵抗、経済問題、そして政治的不安定さなど、数々の課題に直面し、1990年には首相を解任される。しかし、彼女は諦めなかった。野党指導者として活動を続け、国民からの支持を再び集め、1993年には二度目の首相就任を果たす。
二度目の首相在任中も、国内外の政治的圧力や自身への汚職疑惑など、多くの困難に直面した。結局、1996年に再び政権の座を追われることとなる。その後も、彼女はパキスタン国外で亡命生活を送りながら、民主化運動を続けた。
2007年、長年の亡命生活を経て、彼女はパキスタンへの帰国を決意した。国民は熱狂的に彼女を歓迎し、再び政治の表舞台へと返り咲くことが期待された。しかし、その帰国直後の12月27日、彼女は選挙キャンペーンの演説会後に、テロリストによる襲撃によって暗殺された。享年54歳。あまりにも突然の悲劇は、パキスタン全土、そして世界に衝撃を与えた。
ベナジール・ブットーの生涯は、波乱に満ちたものであった。名門の出でありながら、父の悲劇、軍事政権下での弾圧、投獄、亡命といった数々の逆境に直面し、その度に立ち上がり、民主主義と国民の権利のために闘い続けた。彼女は、パキスタンの政治史に indelible な足跡を残したのみならず、イスラム圏における女性の地位向上、そして民主主義の灯を掲げ続けた象徴として、今なお多くの人々の記憶に生き続けている。彼女の死は、パキスタンにとって大きな損失であり、彼女が目指した民主的で安定した社会の実現という課題は、後世に引き継がれることとなった。